【ブックレビュー】『差別はたいてい悪意のない人がする』キム・ジヘ著

こんにちは。
今日は、最近、仲間達と一緒に読書会で読んだ本についてご紹介します。(自分の読書記録も兼ねて・・・)

『差別はたいてい悪意のない人がする 見えない排除に気づくための10章』
キム・ジヘ著・尹怡景訳(2021年)
大月書店

この本は、マイノリティ、人権、差別などを研究する著者によって書かれた本で、私たちの社会に存在する差別がいかに見えにくく、人々がいかに悪気なく誰かを排除してしまっているか、という問題に気づかせてくれる本です。誰もが置かれた立場や状況によって、排除される側にもする側にもなりうるのだということ、なぜ差別が見えにくいのか、どうやって差別をなくしていけば良いのか、ということについて、やさしい表現で書かれています。印象に残ったポイントをいくつかご紹介したいと思います。

「鳥には鳥かごが見えない」

例えば、性別と大学の専攻分野(理系or文系)には一定の相関があり、その先の職業、さらにはその職業の賃金においても関係があることは皆さんご存知の通りだと思います。しかし、生物学的に女性の方が男性よりも理数能力が劣っているわけではありません。(2015年の国際的学力調査PISA(生徒の学習到達度調査)の報告によると、「生まれつきの能力に性別はない」「平等な機会が与えられれば、男女にかかわりなく、同じように最高の成績を収めることができる」そうです。)では、なぜ多くの女性が文系分野や低賃金の職業を選ぶのでしょうか。なぜなら、人には、社会にすでにある偏見に合わせてしまう性質があるからだそうです。就職を考えた時、女性は自分にとって有利な職業は何か、結婚して子育てしながらでも続けられそうな職業は何か、を無意識に選んでいる可能性があります。労働市場の中に偏りや差別があるにも関わらず、このような構造的な差別はあまりに自然で日常的なので、それを差別だと認識することは難しいのだそうです。鳥かごは、後ろに下がって遠くから見れば、そこに鉄格子があることがわかりますが、内側からではあまりに近すぎてただの針金一本のように見えるでしょう。あまりに身近で、自然に日常に存在する差別は、まるで鳥かごのように見えづらいのです。

従来の法律や秩序が不当である可能性

私たちは、法律や秩序は正しいと信じ、それに従う傾向がありますが、法律や秩序がいつも正しいわけではないという歴史も学んでいます。例えば、アメリカの人種隔離政策、南アフリカのアパルトヘイト、ナチスドイツなど、民主主義の形をしていても罪のない大勢の人を迫害する社会を作ることが可能でした。しかし、人は、世の中が公正であると信じているため、不当な差別そのものよりも、不当な差別について叫ぶマイノリティ(少数派)の欠点を非難する傾向があるそうです。ですから、市民の責務として「法と秩序を守ること」と同時に「不当な法律や秩序に反対すること」も重要だと、著者は指摘しています。

差別しない努力が必要

著者は、エピローグで「ある集団に所属するために誰かに合わせたり、排除されることを恐れて誰かを冷やかしたりするのは、人と関わることへの不安からくる」と指摘しています。確かに、お弁当を食べる時や、先生に「グループを作って」と言われた時に一人ぼっちにならないかどうか、という不安は誰でも経験したことがあると思います。そのような不安と戦う方法として、「みんながありのままの姿で歓迎される世の中を想像してみよう」という部分に、私はとても共感しました。ありのままの姿で歓迎される世の中にするには、自分を守るために誰かを排除するのではなく、「誰かを排除しない努力」が必要です。差別は悪意がなくてもしてしまう構造になっていることを理解して、誰もが「差別しない努力」をできる世の中になるといいなと思いました。

先日、ブログで「組織変革のためのダイバーシティ(OTD)」ワークショップについてご紹介しました。私は、このOTD認定講師や研究会のメンバーと定期的に読書会を行なっており、ダイバーシティやインクルージョンに関する本を読んで意見交換し理解を深めています。

ブログはこちら。

今後も、読書会で読んだ本について、時々ご紹介したいと思います。